Colloquium

NO.217
Weekend Mathematicsコロキウム室/NO.217

NO.1668  重力による位置エネルギー  2007.3.19  DDT

同じ「おしえてBP!」ねたです。 次の質問に出会いました。

タイトル:
 重力による位置エネルギー

質問文 :
 ある物体(質量m)を手のひらにおいて高さ0から1mに加速度なしで移動したとき、 物体がされる仕事は、上向きを正と考えて、手が物体にした仕事

   W=Fd=mg*1(ジュール)

となり、物体がされた仕事はmg*1(ジュール)となるみたいですが、 実際は重力も物体にはたらいているので、重力がぶったいにした仕事

   W=-Fd=-mg*1(ジュール)

となり、物体がされた正味の仕事は

   mg*1−mg*1=0

となって、物体がされた正味の仕事が0なら、 物体は重力による位置エネルギー(=mg*1)をもっているということにに矛盾すると、 ふと、考えてしまいました・・・。 この場合正味の仕事に「重力がぶったいにした仕事」は入ってない、 とかんがえるのでしょうか?
これを読んだ瞬間、私には反論一つ思い浮かびませんでした。 普通こういう議論は、運動方程式を直接距離で積分してやってしまうので、 逆にこういったストレートな疑問をぶつけられると、 応えようとして舌を噛んじゃいそうになります。どういう回答が出たかということで、リンクを挙げます。
   QNo.2792960

しかしながら、私は上記回答のどれにも納得できませんでした。 それで、この投稿に及びました。
話は飛びますが、最近「ガリレオの指,ピーター・アトキンス,斉藤隆央訳,2004年12月,早川書房」 というのを読みました。 この本自体は、大人向けのブルーバックスといったところですが、 これに「いい事書いてるな!」と思える一文がありました。それは、

   ・仕事はエネルギーではない.
   ・仕事は、エネルギーの移動を表すものである.

がそれです。この言葉を使って「重力による位置エネルギー」の質問者の思いを述べると、 次のようになる気がします。
   ・手から質点へ、エネルギーmg*1が仕事として移動した(追加された).
   ・それと同時に重力により、質点から−mg*1のエネルギーが仕事として移動した(奪われた).
   ・よって、正味のエネルギー変化は、mg*1−mg*1=0となり、質点のエネルギーは増えない!.
(手で仕事を加えたにも関わらず!)

非常に素直な意見で、目が眩みそうになります。かなり長く考えた後、 やっと思い至ったのが次の点です。
「重力により、質点から−mg*1のエネルギーが仕事として移動した」のですが、 それはどこへでしょう?。手から加えた仕事は「手から質点へ」であり、 出発点と終着点がはっきりしています。しかし、 重力の仕事は、「質点からどこへ?」です。質点を引っ張る「地球へ」でしょうか?。 作用・反作用の法則があるので、思わず納得しかけますが、ちょっと考えれば、そうでない事に気づきます。
もうお気づきの方々は一杯いらっしゃると思うのですが、 以下では、数式で考えれば自明なことを、敢えて日常の言葉で述べます。まず例を挙げます。

(1) 重力が、質点のエネルギーを減らさない例
 当たり前なんですが、自由落下がそうです。地面からある高さhにいる質点は、 その支えを失ったら自由落下を始めます。 このとき、重力「−mg」によってエネルギーの移動は起きますが、 それは質点の位置エネルギーから運動エネルギーへの移動であって、

   [力学的エネルギー]=[位置エネルギー]+[運動エネルギー]

は、一定です(当たり前ですが・・・)。
 では、質点を手によって持ち上げる場合はどうでしょうか?。 それを考えるために、加速度0でなく、高さh1の地点から、高さh2の地点へ、 質点を投げ上げる場合を見てみます。

(2) 質点を投げ上げる場合
 実際には複雑な過程になりますが、高さh1で、質点は手から初速度v0を (運動エネルギー1/2・mv02)を受け取ったとします。 質点は手から離れた瞬間から、重力によりエネルギーの移動を起こします。 質点の運動エネルギーから位置エネルギーへ。 高さh2でちょうど全ての運動エネルギーは位置エネルギーに移動し終わり、 速度0になるとします。その瞬間に、高さh2の地点で、質点に手を添え、支える事ができるはずです。 この状態は、高さh1から高さh2へ、ゆっくり(加速度0で)質点を持ち上げたのと同じ状態です。 ここから何が言えるかというと、

  ・手は質点に、仕事により運動エネルギーを追加した(まさに系に手を加えた).
  ・重力は仕事により、質点の運動エネルギーを位置エネルギーに移した(奪ったのではない).
  ・従って、手の仕事+重力の仕事=0ではあるが、質点のエネルギーは、手が加えた分だけ増えた.
  ・以上により、仕事はエネルギーではない事がわかる.

が言えます。

(3) ゆっくり(加速度0で)質点を持ち上げた場合
 これは、無限にゆっくりした質点の投げ上げになります。 持ち上げる過程の各瞬間で小刻みに、(2)が起こっていると考えられます。

以上が私の、質問「重力による位置エネルギー」に対する回答になりますが、  先の質問は非常にもっともなものに思えました。 理由は二つあって、一つは仕事はエネルギーではない事を、 あまりはっきりとは教えてもらっていないこと。 もう一つは、古典力学の内部にいる限り、位置エネルギーの実体が見えない事に起因する気がします。
 少なくとも古典力学にとどまる限り、ポテンシャルエネルギーは物理量ではないので、 位置エネルギーの実体といった言い方には、微妙な話が付きまとうのですが、 相対論にまで行けば、運動エネルギーも位置エネルギーも質量を(実体を)持ってくるとだけ、 ここでは言います。いずれにしろそのために、古典力学ではエネルギーの定義は (特に位置ポテンシャルエネルギーが)、非常に操作主義的かつ実証主義的です。 先に挙げた本によれば、力学的エネルギーを最初に提唱したのはイギリスのヤングですが、 その定義はブリユアンが提唱した操作主義そのものに見えます。実際そこでは(同書pp.118〜120)、

   「エネルギーとは、仕事をする能力である」

とされます。少し視点を拡げると、山崎義隆はその著書「重力と力学的世界」の中で 「資本主義とプロテスタント倫理」で有名な社会学者マックス・ウェーバーを引き合いに出し、 こうも言います(原文に忠実ではありません)。

「人は電車に乗るとき、その動作原理など何一つ気にせず安心して電車に乗る。 電車がどのように動作するかを知っているだけだ。 この原則として予測により未来は決定可能であるということ、 その確信を持つ事こそが合理化であり、世界の魔術からの解放である(マックス・ウェバー)」

 続けて山崎氏は言います。

「物理学もそうやって近代化してきた。何故力が伝わるのか等の疑問を積極的に却下し、 どのように伝わるかのみを追及してきた。これはとても奇妙な事ではあるが、 その結果、技術的適用可能性が開け、重力は何故伝わるのかは何一つ知らないくせに、 それがどのように伝わるかだけでもって、人間は人工の天体を飛ばした(古典力学により)」

 エネルギーの定義−マックス・ウェーバーの合理化−山崎義隆の物理学の近代化を並べてみると、 先の質問は、その延長線上に当然のように生まれて来るであろう疑問に思えます (なんか昔の民生みたいですね)。
 何を言いたいかというと「古典力学の中には、エネルギーの実体は存在しない」という事です。 だから先の疑問に応えるには、(1)〜(3)のような地を這うような操作主義的説明でなければ、 本当の了解は得られないのではないか?、と思えます。
 特に位置エネルギーがそうです。運動エネルギーは、目に見えて物体が飛んでくので、 まだしもわかり易いですが、ポツネンと止まっているだけの物体全てが位置エネルギーを持つ、 という事は、じつはとてもわかりにくい事ではないかと思いました。 何故なら、実体の無い運動エネルギーと位置エネルギーの間で、あたかもそれらが存在するかのように (存在するんですけど)、仕事をやりとるすると考えなければならないからです。
 それらが何らかの形で(数式以外で)目に見えれば、両エネルギーは移動するだけで、 全体は不変だという構図は、もっと感覚的にはわかりやすかったのにな、と実感しました。 でも古典力学は、十分な理由の基に、そうやって発展してきました。 無いものねだりは、しても仕方ありませんね。

NO.1667  実数はなぜ連続なのか?  2007.3.19  DDT

最近「おしえてBP!」というサイトに、(自分は)出没するようになりました。 何でもありの質問コーナーですが、かなり広範なカテゴリーに分かれていて、 職業上の(プログラム関係の)マニアックな質問をしても、 速攻で回答が返って来たりして重宝しています。 主に私が出入りしているのは、数学・物理・プログラム技術のカテゴリーですが、 そこで先日、以下のような質問に出会いました。

タイトル:
 1+1はなぜ2なのか?

質問文 :
 大学で
 1+1はなぜ2なのか
 ということを学ぶと聞いたのですが本当ですか?
 本当だったら中学生にもわかりやすく教えてください!

この内容に、思わず魅かれました。私はズボラなので「1+1が2になるのは当然だ」と、 中学時代にこんな事を思った事もありません。でも実数に関しては、 結局同じ思いだったのではないのかな?と、そのとき思いました。
上記質問に対する回答は、概ねペアノ公理系を詳細に説明するというものでしたが、 恐らく質問者の中学生にしてみれば、それでは割り切れない気持ちが残ったのでは?と想像します。 そこで実際に、次のような質問を立ててみました。

タイトル:
 実数はなぜ連続なのか?

質問文 :
 じつはこれは、2007/2/20 20:00の「1+1はなぜ2なのか?」に投稿しようと思っていた内容なのですが、 質問者さまが混乱するのでは?と思い、あらたな設問にしました。 どちらかというと、上記質問への回答者の皆様への問いかけです。 「1+1はなぜ2なのか?」と根は同根と思うので、真似して書きます。
大学で、実数はなぜ連続なのか、ということを学ぶと思っていました。 でもそうではないとわかりました!。
事情はこうです。コーシー列による実数の構成を本当に理解した時には、 「ふざけんじゃねぇ〜ぞ!」という気になりました。 収束して欲しい有理数列の同値類の全体を、その収束先とみなすからです。 これはこれで、何一つ文句はつけれませんが、 「こんだけ理解さすのに苦労させながら、出てきたものは結局これかい?」 という気持ちが先に立ちました。これでは、物理的現実として本当に連続体があったとしても、 何故それが連続であるかの根拠を何一つ示していないような気がしたからです。 完備性を根拠にするのは認識論的には妥当だとしても、完備性が、数学的連続体と物理的連続体 (それが現実にあったとして)との対応を保証するようには見えなかったからです。
この手の質問の真意の底には常に、「数学の現実世界への適用を可能とする、 存在論的権利根拠を示せ」という思いが、やっぱり含まれていると思います。 だから、いくらペアノ公理系を丁寧に説明しても、質問者には、 何か釈然としない思いが残るように思えます。皆さんの意見は、どうでしょうか?。 もちろん存在論的根拠に対する答えは、ないと思いますが・・・。
これに対する反応は、望外のものでした。面白かったし、色々ためになったと思うので、 リンクを挙げて終わります。

QNo.2769678
QNo.2778098
(本当の事を言えば、このサイトの皆さんの意見も聞いてみたいというのが本音です)

NO.1666  線分のn等分点  2007.3.19  水の流れ

第188回数学的な応募問題

皆さん、線分ABについて,2等分点にマーク,3等分点にマーク,4等分点にマーク,・・・, n等分点にそれぞれ新しい分点のみにマークをつけていきます。ここで問題です。

問題1:n=2,3,4,5,6のとき、新しいマークはそれぞれ何個増えますか。

問題2:2007等分点をマークしたとき、新しいマークは何個増えますか。

問題3:19等分点をマークしたとき、今までのマーク数を答えなさい。

問題4:点Aの座標を(0),点Bの座標を(1)として数直線上で線分ABを考えます。
 n等分点のときに、今までのマークされた座標を小さい順に並べた数列{F}を作ります。
 この数列は名前がついています。何という名でしょう。

問題5:この数列{F}の任意の隣り合う2項をb/a,d/c  (ただし、b/a<d/c)とするとき、次の問いに答えよ。

(1)不等式 b/a<(b+d)/(a+c)<d/cが成り立つことを注意して、

   a+c≧n+1で

あることを示してください。
(2)等式 ad−bc=1という性質があります。これを証明してください。
(3)不等式 b/a<q/p<d/cを満たすFn+1の項q/p(既約分数)が存在するならば、

   a+c=n+1

であることを示してください。

注:この記事に関する投稿の掲載は、2007年4月9日以降とします。

NO.1665  歩いた時間(2)   2007.3.19  夜ふかしのつらいおじさん

時速v と歩いた距離s の関係をv = as + b とおくと、最初の地点(s = 0) の時速が6km 、最後の到着地 点(s = 8) での時速が4km なので

  
となります。
さて、時速v と歩いた距離s とには、歩いた時間t を仲立ちにして、

  
だから、8km を歩くのにかかる時間t8 は、s = 0 から8 までの積分を行えば良いことになります。

  
ところで、直感的には、『歩いている間の平均の時速が、5kmなので、8/5=1.6時間』 と考えてしまいます。(v-sの図)
一般的に、歩いた時間tは、s=0 からsまで積分を行えば、良いので、

  
ここで上の(1)より、sをvで表すと、

  
だから、(v-tの図)のように時間に関しては、 下の凸のグラフになるので納得ができます。


NO.1664  不定方程式(2)  2007.3.11  wasmath

  
と変形できて,

  
ですから,以上をまとめて

  
となります。
(  は公式を用いました。)

NO.1663  プレゼントの問題(21)  2007.3.11  夜ふかしのつらいおじさん

n 個の完全順列の総数をf(n) で表します。すると、 n 個のうちk 個がもとと同じ場所にある並べ方の総数 は、nCkf(n-k) なので、n 個とn-1 個の順列は、

  

あらかあじめ次の式を示しておきます。

  

全部でn 個のときの期待値をEnとおくと、

  

NO.1662  プレゼントの問題(20)  2007.3.5  BossF

「n人いるとして、ある人が自分のプレゼントに当たる確率は 1/n  よって期待値は n*(1/n)=1 」
これじゃ駄目でしょうか?

NO.1661  カプレカ数(2)  2007.3.5  wasmath

NO.1648「カプレカ数」についてです。
必要十分条件の定理がありますが,残念ながら

「k(k-1)/(10n-1)が整数である自然数nが存在する」

ことは,必要条件にすぎません。例えば,198は

   198 = (102-1)×2

を満たすのですが,

   1982 = 39204

となってカプレカ数ではありません。 十分条件の考察において,10n>r≧1が 考慮されていないのが,原因だと思われます。 冒頭の例のように,

  「k2の桁数がkの桁数の2倍」

となる場合に限定すれば,必要十分条件になりますが・・・

NO.1660  プレゼントの問題(19)   2007.3.4  水の流れ

NO.1659 プレゼントの問題(18)の証明は、 すでに、プレゼント問題の以下にあります。

NO.94 プレゼントの問題(13)
(n)=1の証明

NO.100 プレゼントの問題(14)
この確率変数Xは 期待値と標準偏差がともに1となった。


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